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滇越鉄路歴史文化公園

1885年清仏戦争が終結後、清はフランスと講和条約とその後の条約により、ベトナムに対する宗主権を放棄しました。フランスは雲南省における通商・鉄道敷設権を獲得し、1887年には蒙自が対外通商地(条約港)として指定された後、1889年に整備・開設され、通商の進展とともに貿易も次第に繁栄していきました。この流れの中で、フランス(仏領インドシナ当局)は滇越鉄道(滇=雲南省、越=ベトナム)の建設を進め、雲南側では1904年に着工し、1910年4月にベトナムの海防(ハイフォン)から昆明までメーターゲージ(軌間1,000mm、米軌)総延長は約855kmが全線開通しました。山の緩やかな斜面に位置する十数戸ほどの寒村だった碧色寨も、1909年4月に滇越鉄道が到達して以降、結節点として急速に栄えました。 さらに、雲南の商人資本(商辦)によって建設された600mm軌間(寸軌)の箇碧石鉄道は、1915年に建設が始まり、1921年に箇旧—碧色寨を含む区間が開通、1936年に石屏まで全線開通しました。碧色寨では米軌と寸軌が接続し、線路幅の違いから貨物の積み替えの必要があり、国内外の商社や施設が集まって活況を呈し、最盛期には「東方の小パリ」とも呼ばれたと伝えられています。その後、蒙自—碧色寨間の廃線などで碧色寨の結節点としての役割は薄れ、駅は1992年に旅客扱いを終了し、2010年に駅としての役割は終わりました。現在、碧色寨駅周辺は「碧色寨滇越鉄道歴史文化公園」として、駅舎・歴史建築・鉄道遺構などが保存・活用されています。

滇越鉄路歴史文化公園

滇越鉄路歴史文化公園 碧色寨駅碑 滇越鉄路歴史文化公園 碧色寨案内図

碧色寨駅は2013年に全国重点文物保護単位に指定されました。この「碧色寨車站」碑には漢字のほか哈尼語「BIOQSEOQZEOF CEILZAF」および彝族語でꀘꌝꍝꍯꍳと書かれています。雲南省には多くの少数民族が居住していますが、少数とはいえ哈尼族は碧色寨を含む哈尼族彝族自治州を中心に約163万人、彝族は507万人居住しています。駅は標高1,362mに位置し、日本で一番高い場所の野辺山駅(1,346m)よりも高地にあります。

碧色寨駅

滇越鉄路歴史文化公園 碧色寨駅舎 滇越鉄路歴史文化公園 碧色寨駅名板

碧色寨は滇越鉄道のほぼ中央で、駅の建物はフランス人が設計した、赤い瓦屋根・黄色い壁・木製の鎧戸(ルーバー窓)を持つフランス風建築です。2階建てで、駅長室・待合室・三面時計・給水塔・便所などの設備があります。軒はリベット打ちの鋼材の骨組みで支えられています。この鋼材は、エッフェル塔に用いられたものと同じ製鉄所で生産されたものと言われています。1909年滇越鉄道が碧色寨まで開通した当時、ここは唯一の一等駅でした。さらに箇碧石鉄道が開通すると、ここで合流・積み替えが行われ、旅客・貨物の輸送量が急増、特等駅に昇格し鉄道輸送の一大ターミナルとなりました。最も繁忙だった時期には、1日に80本以上の列車が通過しました。わずか2㎢の土地に、フランス・イギリス・アメリカなど各国の会社や30余りの国内商店が集まり、さらに3000人以上の荷役労働者が昼夜を問わず積み下ろしを行い、大変な賑わいを見せました。

三面時計と北回帰線標

滇越鉄路歴史文化公園 三面時計 滇越鉄路歴史文化公園 北回帰線標識

三面時計は、別に親子時計とも言われ、1910年のパリの時計職人PAUL GARNIERによる製造です。三面時計と言われるのはホーム上の2方向に向けられている2面と、この時計を動作させる事務室の親時計からなり、合わせて三面となります。これらの時計は事務室のゼンマイを巻いて動作させるため駅内の時計の表示は一致して誤差は生じません。いまは動作しませんが2004年に国家二級文物に指定されました。
三面時計の下、入口の敷居の下に「BM149」と刻まれた石があります。これは測量基準点(Bench Mark)を表すと考えられていますが、この位置を検証した結果、北回帰線の標識でもあると判明しました。この座標は東経E:103°2′38″、北緯N:23°27′5″です。

税関

滇越鉄路歴史文化公園 碧色寨税関支署

この建物は蒙自税関・碧色寨支部です。中仏戦争後の1887年「中仏続議商務専条」が締結され、「清政府は広西の竜州、雲南の蒙自および蛮耗を、中越国境の通商拠点として開設することを認める」とした。1889年正式に蒙自に税関が開設され、蛮耗に支署が置かれました。しかし太平洋戦争が始まった1941年までアメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・イタリア・日本などの国々から派遣された者が税務司(税関の要職)を務め、関税を掌握していて清側には関税自主権がありませんでした。1910年に滇越鉄道が開通したのちは雲南の商業の中心が昆明へ移り、1942年に蒙自支所は昆明税関の管轄下に入りました。同時に、碧色寨・蛮耗・河口などに支署が設置されました。1945年1月、蒙自税関は支所となり、碧色寨を含む下部の支署はすべて廃止されました。この建物は2013年に国務院により「第7次全国重点文物保護単位」に指定されました。

メーターゲージ線路と鉄製枕木

滇越鉄路歴史文化公園 粁ポスト 滇越鉄路歴史文化公園 鉄製枕木

287キロポストは昆明起点の粁程を表しています。駅としては廃止されましたが、鉄道はまだ現役で、不定期で貨物列車が運行されています。構内には3線残っていますが、一番左の1線だけが使用されており、右の2線に渡るポイントも撤去されています。使用されていない線路は鉄製枕木が使用されています。これは雲南から東南アジアにかけて枕木にする木材が不足したことと、高温多湿によるシロアリの虫害や腐朽被害もあるため、耐久性・保守性を考えて鉄を使用する例が見受けられました。

給水塔と給水タンク

滇越鉄路歴史文化公園 給水塔 滇越鉄路歴史文化公園 給水タンク

列車はすべて蒸気機関車だったころ、水が切れると致命的なボイラー爆発事故の危険があります。そのため多くの駅に給水設備がありました。駅到着後に給水と給炭を行うのは日常的な作業でした。また石炭の燃焼を助けるために適量の水を撒き、水から分解した酸素がいっそう燃焼を助けるという効果もありました。箇碧石鉄道沿線には、給水タンクが16基、給水用の「給水塔」が17基ありました。中国語ではその形状から「水鶴」とよばれ、鶴のくちばしのように高く掲げられていることから、この名があります。

箇碧石鉄路碧色寨駅

滇越鉄路歴史文化公園 箇碧石鉄道駅舎1 滇越鉄路歴史文化公園 箇碧石鉄道駅舎2

箇碧石鉄道の碧色寨駅舎は、滇越鉄道の駅舎よりも小ぶりですが、雲南の商工業者の人々が自ら建設した民営鉄道で、資金を集めながら区間ごとに建設し、区間ごとに運営する方式をとりました。扉や窓には中国的な意匠も取り入れられています。建物両側の妻壁の丸窓は、フランス式の鎧戸とは明確に区別されています。ホーム上屋(遮陽棚)を支える鋼製フレームは外形が三角形ですが、内部には大小さまざまな円形の補強材が用いられています。駅長室・待合室・三面時計・給水装置(水鶴)などの設備に加え、機関車転車台、機関車修理庫、資材工場などの関連施設も整えられました。現在は観光地化していますので、香港からの観光客が中国伝統衣装の旗袍を着て記念写真を撮っていました。

箇碧石鉄路の車庫

滇越鉄路歴史文化公園 箇碧石鉄道車庫

フランス式の建物内部まで600mm軌間の線路が延びており、ここが箇碧石鉄道の機関庫でした。箇碧石鉄道の運営初期、国内では上海楊子江工場で旅客車・貨車の車体や一部のレールを製造することができました。レールは他に漢陽製鉄所でも生産しました。箇碧石鉄道で使用された鋼軌や車体の一部は国内で調達されましたが、蒸気機関車はアメリカのボールドウィン社製でした。1919年以降、箇碧石鉄道会社は武漢・楊子江工場、アメリカ、フランスから車両を購入し、旅客車43両(うち公務車2両、1・2等車3両、3等車6両、4等車32両)と、貨車151両(うち有蓋車113両、無蓋車26両、平台車11両、救援車1両)を導入しました。そして車両検修は自社の車両工場で担当しました。1919年には、碧色寨・蒙自・鶏街・建水・石屏・箇旧に機関庫が設けられました。2013年に機関車庫は国務院により「第7次全国重点文物保護単位」に指定されました。

SN形21号蒸気機関車

滇越鉄路歴史文化公園 SN形21号蒸気機関車1 滇越鉄路歴史文化公園 SN形21号蒸気機関車2
滇越鉄路歴史文化公園 SN形21号蒸気機関車3 滇越鉄路歴史文化公園 SN形21号蒸気機関車4

アメリカのボールドウイン社が製造した機関車は、軌間が600mmにしては大型で、全長14.85m、重量は46tです。1924年から1929年に16輌が製造され、17から32号となりました。箇碧石鉄道では全部で34輌の使用され、戦前には他に欧米各国で製造されたものも使われました。現存するのはSN形だけで、北京、上海、昆明の各鉄道博物館に保存されています。なお、この21号と27号は原形そのものではなく、下回りの車輪とバランス錘は実車のものの様ですが、台枠は鉄骨で作ったものでイコライザーやブレーキシューがなく、シリンダ部分も形だけのものです。運転台の中も逆転器や加減弁がなく、元の形を摸したイミテーションとなっています。一方上回りの多くは実車材と思われます。

SN形27号蒸気機関車

滇越鉄路歴史文化公園 SN形27号蒸気機関車1 滇越鉄路歴史文化公園 SN形27号蒸気機関車2

箇碧石鉄道の機関車は、折り返して元来た線路を戻るために必ず向きを変える必要があるため転車台が必要でした。手回しの転車台で4人で転換していました。この転車台は、本物では無く当時をしのぶために復元した物で、SN形蒸気機関車の炭水車の除いた車体部分しか乗りません。本来は機関車と炭水車は分離されません。

米軌客車

滇越鉄路歴史文化公園 客車1 滇越鉄路歴史文化公園 客車2

滇越鉄道の客車を使用した商店で、おみやげものの販売や、昔の雰囲気を駅構内で楽しむためのコスプレ衣装をレンタルしています。戦前の学生の衣装(水色の中華風ツーピース)や伝統的な旗袍、あるいは階級がなかった1988年までの人民解放軍の軍服(65式軍服)、少数民族の特徴的な衣装などがありました。

寸軌客車と貨車

滇越鉄路歴史文化公園 箇碧石鉄道客車 滇越鉄路歴史文化公園 箇碧石鉄道郵便荷物車
滇越鉄路歴史文化公園 箇碧石鉄道有蓋車 滇越鉄路歴史文化公園 箇碧石鉄道平台車

600mm軌間の客車、旅客車、郵便荷物車、有蓋車、平台貨車が展示されています。客車はクリーム色に塗装されていますが、使用されていた最後の時代は暗緑色でした。