
韓国の保存蒸気機関車
韓国で見てきた保存蒸気機関車をご紹介します。韓国の蒸気機関車についてはあまり詳しくありませんが、1983年に復活運転されたミカサ形蒸気機関車を見に行った際、標準軌間の大型機関車に大いに興味を惹かれました。ほかにも、標準軌ではない762mmナローゲージによる長大な路線も存在し、調べていくと尽きることのない魅力があります。(2009年1月、2015年11月 撮影)
オリニ大公園の狭機1形蒸気機関車


ソウル市広津区にあるオリニ大公園は動物園・植物園・遊園地などがある総合公園です。ここには2018年まで2輌の蒸気機関車が保存されていました。狭機とは韓国鉄道庁の標準軌間1425mmに対して狭い762mm軌間用の蒸気機関車の意味で혀기と表記されます。狭機(혀기)1形の説明は次の様に書かれていました、「この機関車は、1951年に日本の工場で製造されたものを、鉄道庁の釜山工場で組み立てたもので、1951年から1973年1月まで水原〜南仁川、水原〜驪州(ヨジュ)区間を運行していました」。2009年にはオレンジ系の派手な塗装でしたが、2015年には黒一色に塗り直されていました。現在は花郎台鉄道公園に移されています。
オリニ大公園のミカ5-56蒸気機関車


オリニ大公園に保存されていたもう1両の機関車は、ミカ(미카)5-56号です。この機関車も現在は花郎台鉄道公園に移設されています。ミカ-5形は、朝鮮戦争(1950–1953年)の最中、韓国政府および国連軍が米軍輸送隊(USATC)を介して日本に発注したもので、汽車会社、日本車輌、三菱、川崎車輌などで製造されました。戦前の朝鮮総督府鉄道では、ミカシ(ミカ-4)形まで存在していたため、それに続く形で「ミカ-5」と命名されました。ミカド形(軸配置1-D-1)における5番目の形式という意味です。車両の仕様は、かつて南満洲鉄道や満洲国鉄で使用されたミカイ形にほぼ準じています。戦時中、多くの機関車が破壊されたほか、増加する貨物輸送需要に応えるため、戦前と同様の仕様による蒸気機関車が日本に大量発注されました。その需要を見越して、製造各社は発注を前提とした「見込み生産」も多数行っていました。しかし戦線の膠着とともに機関車の需要は急激に落ち込み、各社は行き先のない完成済みの機関車を多数抱えることになりました。最終的には、10年以上保管されても売却先が見つからず、解体された機関車も少なくありません。
韓国鉄道博物館のミカ3-161蒸気機関車


ミカ(미카)3-161は戦前の朝鮮総督府鉄道で300輌あまりが導入された元ミカサ形です。朝鮮の鉄道の事情に合わせて車体重量や使用する石炭の発熱量を勘案して設計した標準貨物用機関車です。1981から1983年まで、釜山~慶州間を週末に観光列車を牽引し、この列車の廃止後鉄道博物館に展示されるようになりました。
韓国鉄道博物館のパシ5-23蒸気機関車


この機関車は1942年川崎車輌で製造され、朝鮮総督府鉄道局の京城(現在のソウル)工場で組み立てられた旅客用テンダー蒸気機関車パシコ形です。戦後韓国鉄道庁でパシ(파시)-5形となりました。全国の主要幹線で運行されていましたが、1967年にディーゼル機関車が登場すると運行を終了しました。韓国の地形条件に適合し、国内産の石炭を燃料として使えるように設計された代表的な特急旅客用蒸気機関車で、韓国内で唯一現存するパシフィック形(軸配置2-C-1)蒸気機関車です。しかし雨水の侵入を防ぐために煙突の上に三角形の笠を取り付けている点は、景観上やや不適切で、煙突の上部内側に円板を溶接する方法が適していると考えます。
韓国鉄道博物館の狭機11-13蒸気機関車


狭機11形は、軸配置1-D-1、軌間762mmの狭軌鉄道としては大形のテンダー式蒸気機関車で、1937年に日本車輌製造および汽車会社で製造された元朝鮮鉄道900形です。狭機の鉄道は車輌の大きさが小さいため輸送量が制限されますが、改軌するのは工期、費用共に困難があるため、できる限り大形の機関車として増加する輸送量に対処するため設計されました。私鉄の朝鮮鉄道が運営していた黄海線(1944年に国有化、戦後は北朝鮮地域)や京東線(戦後に国有化され水仁線)向けに導入されました。戦後、韓国側に残った車両は「狭機11形」として再分類されました。テンダーには朝鮮鉄道の社紋が書かれています。なお、この機関車は台湾総督府鉄道が台東線向けに導入したLDT100形と、設計・仕様の面で同一です。
韓国鉄道博物館の臨津閣 廃車マテ2 原寸大模型


2009年に訪問した際、館外にはD形蒸気機関車のボイラー、動輪、シリンダー部分が展示されていました。しかし、2015年に再び訪れたときには、煙突と鉄の輪だけが残っていました。これは2005年に「ポスコ」が企業広告のために作成した実物大の模型で、使用後に寄贈されたものでした。元は、朝鮮戦争中の1950年12月31日、開城を出発してソウルへ向かっていた途中で空襲により脱線して破壊され、半世紀もの間非武装地帯に放置されたのち、臨津閣で展示されているマテ2-10号機関車を指します。
ソウル科学館の狭機8-28蒸気機関車


ソウル科学館で屋外展示されている狭機8-28は、762mm軌間用の軸配置1-C-1タンク機関車です。1934年に日本から輸入され、水原~仁川間(52km)および水原~驪州間(73.4km)の路線で運行された蒸気機関車で地域産業の発展に大きく寄与しました、と説明されています。水原~仁川および水原~驪州は、京東線とよばれた私鉄の朝鮮鉄道の路線でしたが、戦後に水仁線、驪州線となりました。
臨津閣 ミカ3-244 蒸気機関車


朝鮮半島を南北に縦断する京義線(ソウル~新義州間約500km)は朝鮮総督府時代から主要な幹線でした。朝鮮戦争のため分断され韓国側はソウル~臨津閣~都羅山までとなっています。都羅山は「非武装地帯(DMZ)」に位置するため、事前申請のうえツアーに参加する以外訪問することはできません。一般の訪問者が自由に行けるのは、臨津閣までとなっています。駅の先、臨津江の手前に置かれたミカ(미카)3-244は、ふたたび南北が統一されて走れることを願った象徴として「鉄馬は走りたい」としてまっすぐ北に向かって置かれています。ミカ2-244は朝鮮総督府鉄道ミカサ244で1943年の日本車輌製です。
臨津閣 長湍駅廃車マテ2-10蒸気機関車


朝鮮戦争中の1950年12月31日、開城を出発しソウルへ向かっていた貨物用の大形機関車マテ(마테)2-10号(軸配置2-D-1)は、戦況の悪化により長湍駅で米軍の空爆を受け、行動不能となりました。当時の国連軍は一時、中国国境近くにまで迫る勢いで北上していましたが、中国人民志願軍の本格的な参戦によって形勢は逆転。前線は南へ南へと押し戻され、撤退を余儀なくされました。前線の混乱のなか、敵側の手に渡るのを防ぐ目的で、米軍自らが攻撃を加えたとされています。その後、長湍駅は非武装地帯(DMZ)の韓国側に組み込まれて廃止され、機関車も半世紀以上にわたり現地に放置されたままとなりました。2006年11月、保存が正式に決定され、ポスコ社(POSCO)が費用および技術支援を提供。錆除去・保存処理などの作業には専門家があたり、2年の歳月をかけて整備されました。そして2009年6月現在地である臨津閣公園内「自由の橋」北端にて一般公開が開始されました。
韓国鉄道庁のDMZトレイン


DMZトレインはムグンファ号用の韓国鉄道9501系気動車を改造して、2014年から京義線のソウル~都羅山間で3両編成で運行を開始しました。北朝鮮寄りの先頭車には「鉄馬は走りたい」に象徴される蒸気機関車が書かれていました。2019年アフリカ豚熱の拡散防止対策に伴い運行を停止し、その後再開されることなく2023年に老朽化により廃止されました。
その他の韓国では以下の場所に蒸気機関車が保存されているようです。
- ミカ(미카)3-129 大田国立顕忠院護国鉄道記念館 大田広域市儒城区甲洞
- ミカ(미카)3-304 済州島 済州4・3平和公園
- ミカ(미카)5-48 旧獒樹駅 全北特別自治道任実郡獒樹面
- ミカ(미카)5-56 花郎台鉄道公園 ソウル特別市蘆原区
- 901形(SY上游形) 豊基駅 慶尚北道栄州市
- 狭機(혀기)1 花郎台鉄道公園 ソウル特別市蘆原区
- 狭機(혀기)11-12 サムスン交通博物館 京畿道 龍仁市 処仁区
- 狭機(혀기)11-7 蘇莱歴史館 仁川広域市南洞区