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ラサ工業専用線の最後の現役国鉄形蒸気機関車

岩手県宮古市にあるラサ工業は、かつて国鉄山田線と工場の専用線によって結ばれ、貨物の受け渡しが行われていました。国鉄における蒸気機関車の運用は1976年(昭和51年)3月に終了しましたが、この専用線では1979年(昭和54年)まで国鉄形蒸気機関車が現役で稼働しており、全国で最後の活躍の場となりました。 中でも使用されていたC10形蒸気機関車は、1962年(昭和37年)に国鉄から全廃された形式であり、ここに在籍していた1両は、日本で唯一の稼働機でした。また、予備機としてC11形も配備されており、2両の国鉄形蒸気機関車が現役で使用された、貴重な現場でもありました。その後、1979年にはディーゼル機関車へ置き換えられ、専用線自体も1986年(昭和61年)に廃止されました。工場もまた、銅の電気精錬部門や肥料製造部門の廃止、他社への事業譲渡などにより、次第に規模を縮小していきました。しかし、1939年(昭和14年)に完成し、当時は東洋一の高さを誇った160メートルの大煙突は、今なお宮古市のシンボルとして静かにそびえ立っています。

ラサ工業のC10とC11

トンネルから覗いたラサ工業 ラサ工業専用線
ラサ工業C10 8と車庫、給水塔 ラサ工業C10 8右前方から
ラサ工業C10 8左前方から ラサ工業C10 8前方から
ラサ工業C11 247右側面 ラサ工業車庫内から見たC11 247
ラサ工業車庫内のC10 8 ラサ工業車庫内のC10 8の区名札
ラサ工業C10 8のネームプレート ラサ工業C11 247への給炭
ラサ工業C11 247の貨物列車準備 ラサ工業C11 247の貨物列車

C10 8号機は、1930年(昭和5年)に川崎車輌で製造されました。老朽化した旧型蒸気機関車の代替を目的に、近代化を図るため開発された形式で、主に大都市近郊の区間快速列車向けとして運用が始まりました。しかし、その後大都市圏では電車運転への移行が進み、C10形は次第に地方路線へと転用されるようになります。8号機も例外ではなく、最終的には会津若松に配属され、1962年(昭和37年)まで使用されました。廃車後はラサ工業に譲渡され、同社の宮古工場専用線にて現役として再び活躍することになりました。一方、予備機のC11 247号機は、1943年(昭和18年)に日立製作所で製造されたものです。こちらも会津若松で使用され、1968年(昭和43年)に廃車となったのち、ラサ工業に譲渡されました。これら2両の機関車は、いずれも工場内の入換作業に適するよう、前面に大きく張り出した握り棒を備えていたのが特徴です。また、C10 8号機については、ATS(自動列車停止装置)用の発電機は装備されていませんでした。

国鉄との貨物の受け渡し

ラサ工業トンネルを出た貨物列車 ラサ工業国鉄授受側線へ向かうC11 247
ラサ工業国鉄側線から見たC11 247貨物列車 ラサ工業C11 247と国鉄DE10 1001
ラサ工業貨物を切り離したC11 247 ラサ工業へ戻るC11 247の貨物列車

トンネルを出て行くと、山田線との貨物受け渡しの側線にたどり着きます。盛岡機関区所属のDE10 1001が来ていました。ラサ工業もディーゼル機関車に置き換えられた後もしばらくは受け渡しは続きましたが、国鉄側の宮古駅貨物扱い廃止とともに専用線は1986年(昭和61年)に廃止されました。

大井川鉄道でのC10 8号

大井川鉄道のC10 8 大井川鉄道のC10 8右後方から

ラサ工業の宮古工場が閉鎖された後、C10 8は宮古市うみねこ線で動態保存されましたが、その後1994年に大井川鉄道に譲渡されて、動態保存されています。前面の握り棒の形は本来の国鉄時代に復元されています。

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