
瀋陽鉄路陳列館

瀋陽鉄路陳列館は1984年に蘇家屯機関区に設けられたのが最初ですが、その後2010年に現在の形に建物の内部で展示する形式になりました。しかし当時は一般には開放されておらず、鉄道従事員向けの学習施設として運営されていました。その後、2017年に一般開放されました。なお、各機関車の説明は陳列館で表示されているものを翻訳したものを主に使用していますが、遼寧省での使用の解説に限定されているおそれがあり、また誤りが含まれている可能性があるため、適宜表示文を補っています。(写真はすべて2025年3月撮影)
人民形 RM1247 蒸気機関車

南満洲鉄道や満州国鉄などで使用され、戦後も中国で製造された旅客用機関車パシロ(SL6)をもとに中国が独自に設計した機関車で258輌製造されました。RMとは人民(RenMin)の略号です。番号は1247ですが、4217輌製造されたわけではなく、形式別に番号でも分けており1001~1258を使用しています。
前進形 QJ1043 蒸気機関車

この博物館には2輌の前進形が保存されていますが、こちらはテンダーの台車が2軸のタイプとして製造されましたが、3軸の台車に変更されています。無事故安全走行300万kmと誇らしげにテンダーに書かれています。
プレイ 頗勒 PL1 220 蒸気機関車

1907年南満洲鉄道が創立した年にアメリカのALCOリッチモンド工場で37輌製造された機関車です。。プレイとはプレーリー(Prairie)型形(軸配置1-C-1)の1番目の形式という意味です。戦後この軸配置の機関車はPL形となり、おもに支線の貨物列車や機関区内の入換で使用され、1984年まで使用されました。頗勒とはプレの中国語発音ローマ字のPoLeの略号ですが一般的には用いられず、機関車にはPLと表記されていました。
無火機関車 UH 02

1914年のドイツ製です。無火機関車は自らはボイラーを持たず、摂氏400℃の蒸気を外部からの供給をうけてタンクに溜めて走行します。蒸気の注入には8時間を要し、最高速度は30km/hで単機の場合は手動ブレーキ、貨車牽引するときは逆転器の操作でブレーキとします。
ダブイ 達波 DB1 29 蒸気機関車

南満洲鉄道が入換や区間運転用としてメリカのALCO社リッチモンド工場から1907年~1908年に計69輌製造したタンク機関車です。ダブイとはDouble Ender tank(ダブルエンダータンク)形(軸配置1-C-2)の1番目の形式という意味です。戦後この軸配置の機関車はDB形となり、1984年まで使用されました。達波とはダブの中国語発音ローマ字のDaBoの略号ですが一般的には用いられず、機関車にはDBと表記されていました。
ミカサ 解放3 JF3 2558 蒸気機関車

1927年チェコスロバキア共和国のスコダ(Skoda)で製造された幹線用貨物列車用機関車で、1979年に廃車になりました。ミカサとはミカド(Mikado)形(軸配置1-D-1)の3番目の形式という意味です。戦後この軸配置の機関車は解放形となり、解放を表す中国語(JieFang)の略号でJF形に分類されました。
パシコ 勝利5 SL5 232 蒸気機関車

この機関車は南満洲鉄道の急行用に製造されたパシコ形です。満鉄沙河口工場で昭和2年(1927年)に5両、昭和8年(1933年)に6両の計11両製造されました。昭和8年に製造された分は改良され炭水車が少し大きくなっています.パシコとはパシフィック(Pacific )形(軸配置2-C-1)の5番目の形式という意味です。戦後中国国鉄となってからは以前からあるのパシフィック形機関車はすべて勝利形として分類されています。なおSLとは蒸気機関車の意味ではなく、勝利の中国語ローマ字表記(ShengLi)の頭文字をとったものです。
解放2 JF2 2525 蒸気機関車

元南満洲鉄道のミカニ形で、3シリンダーの機関車です。1929年に川崎車輌で製造されましたおもに撫順~大連間の貨物列車で使用されました。ミカニとはミカド形の2番目という意味で、戦後改称されたJFは解放(JieFang)の略号です。
韮徳 FD 1227 蒸気機関車

1931年にソ連のヴォロシロフグラッド(Ворошиловград)(現ウクライナの ルハーンシク)機関車工場で製造されたФД形大型貨物用機関車です。1958年に機関車が不足していた中国に送られ、友好形(YH形)となりました。このときソ連の軌間1,520mmから中国の標準軌間1,435mmに変更されています。文化大革命の時期、ソ連との関係が悪化すると、ソ連の社会主義を修正主義と批判し、それに反対するという意味で反修形(FX形)と変更されました。その後1971年にさらにFD形と改名されています。これはキリル文字ФДに対応するローマ字FDを元にしています。韮徳とは中国語発音ローマ字のFeiDeの略号ですが一般的には用いられず、機関車にはFDと表記されていました。
パシナ 勝利 SL 751 蒸気機関車

1934年から1936年に川崎車輌で9輌、満鉄沙河口工場で3輌製造された特急旅客用の機関車です。パシナとはパシフィック(Pacific )形(軸配置2-C-1)の7番目でパシナと呼ばれました。実用最高速度110km/hで南満洲鉄道の「あじあ号」の大連~新京(現長春)間を牽引しました。戦後は勝利7形(SL7形)となり主要幹線の旅客列車で使用されました。なお751の解説は川崎重工製造となっていますが満鉄パシナ1号ならば、沙河口工場の製造です。
パシナ 勝利 SL 757 蒸気機関車

こちらもパシナで、川崎車輌製造と考えられます。元は大連機関区に保存されていました。色はSL751とは異なり、常磐線の緩行電車で用いられている緑14号に似た色です。751は水色ですが、どちらも満鉄時代の色である濃紺とは異なります。
サタニ 斯特2 ST2 22 蒸気機関車

1936年ドイツのクルップで津浦鉄道向に製造された、軸配置2-10-2の機関車で主要幹線の貨物用です。この軸配置はサンタフェ形もよばれ、その2番目の形式ということでサタニと命名されました。斯特は中国語発音ローマ字の(SiTe)を表します。津浦鉄道は天津~浦口(南京の対岸)までの約1000kmの路線です。のちに日本の国策会社である華北交通に編入されました。
ミカロ 解放6 JF6 3329 蒸気機関車

1945年の日本製造と記述されています。元満州国鉄のミカロと考えられます。ミカロとは軸配置1-D-1のミカド形の6伴明の形式という意味です。戦前は幹線の貨物列車用、戦後は幹線と支線の貨物列車、入換、区間運転用に使用されました。
パシハ 勝利8 SL811 蒸気機関車

1937年~1940年に日立と満鉄工場で製造された機関車で、パシフィックの8番目の形式です。パシナに比べれば地味ですが、流線形の外観で旅客列車で使用されました。
迪克5 DK5 250 蒸気機関車

戦後1958年にルーマニアのCombinatul Metalurgic Reșița(レシツァ冶金コンビナート)で製造された1-E、デカポッド(ギリシャ語の10つまり動輪10個をの軸配置の機関車です。戦前にDK4まで製造されていたためDK5となりました。
西克13 XK13 3858 蒸気機関車

1959年ポーランドのChrzanów(フシャヌフ)工場で製造されたタンク機関車です。軸配置0-C-0のアメリカ式シックスホイールカップルド(Six wheelcoupled)の略でシカ13形です。戦前、満州国鉄や南満洲鉄道などでシカ12までありましたので、その次の番号です。炭鉱や工場内や構内の入換で使用されました。
工建 GJ 1039 蒸気機関車

1958年太原機車廠の製造の軸配置0-C-0のタンク機関車です。炭鉱や工場の専用線、機関区内での入換用で使用されました。XK13と同じ軸配置ですが、中国の製造なので工建形、略号GJ形と命名されました。1997年まで使用されました。
建設 JS 5003 蒸気機関車

1960年に大連機車車輌工廠で製造の軸配置1-D-1の機関車で、幹線の貨物列車、入換や区間列車で使用されました。それまで貨物の主力だったミカイJF1をソ連から導入した技術と中国独自の改良を加えた機関車です。
前進 QJ 6368 蒸気機関車

ソ連から輸入したFD形をもとに、中国独自の設計を加えて製造した大形の機関車です。初期には和平形と命名され、文化大革命時期には反帝形とよばれました。中国全土で重量貨物列車を牽引しました。こちらはテンダーの台車が3軸のタイプです。QJ6368号は1982年大同機車工廠の製造です。2005年に廃車されました。
上游 SY1096 蒸気機関車

1976年の唐山機車車輌工廠の製造で、炭鉱や工場の線用線、入換や支線の区間列車で使用されました。戦前南満洲鉄道や満州国鉄で中軽量貨物用で使用され、戦後も中国で製造されたミカロ(JF6)をもとに設計されました。
東方紅1 DFH1 4222 ディーゼル機関車

1964年四方機車車輌廠製造の軸配置B-Bの液体式ディーゼル機関車です。運転整備重量は84t、最高速度120km/hで主要幹線の旅客列車用に使用され、1996年まで使用されました。
北京 3242 ディーゼル機関車

1984年北京二七機車工廠製造の軸配置B-Bの液体式ディーゼル機関車です。運転整備重量は92t、最高速度120km/hで主要幹線の旅客列車に使用され、2000年まで使用されました。
ND5 0016 ディーゼル機関車

1984年アメリカのGE製造の軸配置C-Cの電気式ディーゼル機関車です。運転整備重量は138t、最高速度は118km/hで主要幹線の旅客および貨物列車用に使用されました。この形式は現在も蘇家屯機関区で使用されています。
東風7G DF7G 5930 ディーゼル機関車

2005年北京二七機車工廠の製造の電気式ディーゼル機関車です。軸配置はC-Cで、運転整備重量は138t、最高速度は100km/hです。おもに重量貨物列車や入換、区間列車を牽引し、現在も錦州、吉林、蘇家屯機関区で使用されています。
東風4B DF4B 1029 ディーゼル機関車

1985年の大連機車車輌廠製造の電気式ディーゼル機関車です。軸配置C-Cで、運転整備重量は138t、最高速度は100km/hです。主要幹線の旅客、貨物列車を牽引し、錦州、吉林、蘇家屯機関区で使用されました。
東方紅5 DFH5 0371 ディーゼル機関車

1988年の資陽機車車輌廠製造の液体式ディーゼル機関車です。軸配置はB-Bで、運転整備重量は86t、最高速度は80km/hで入換や区間運転の列車を牽引し、2004年まで使用されました。
東風6 DF6 0003 ディーゼル機関車

1991年大連機車車輌廠製造、軸配置C-Cの電気式ディーゼル機関車です。運転整備重量は138t、最高速度118km/hで主要幹線の旅客および貨物列車用に2004年まで使用されました。
東風5 DF5 1043 ディーゼル機関車

1989年四方機車車輌廠製造の軸配置C-Cの電気式ディーゼル機関車です。運転整備重量は138t、最高速度80km/hでおもに入換用として、現在も錦州や蘇家屯機関区で使用されています。
東風4C DF4C 5331 ディーゼル機関車

2000年資陽内燃機車廠製造の軸配置C-Cの電気式ディーゼル機関車です。運転整備重量は138t、最高速度は100km/hで主要幹線の旅客および貨物用として使用され、源左も錦州、吉林、通遼の機関区で使用されています。
東方紅3 DFH5 0186 ディーゼル機関車

1985年の四方機車車輌工廠製造の軸配置B-Bの液体式ディーゼル機関車です。運転整備重量は92t、最高時速120km/hで主要幹線の旅客列車を牽引し、2003年に引退しました。
和諧 HXN 30000 ディーゼル機関車

2008年中国北車集団大連機車廠とアメリカEMD社の合作で製造された、電気式ディーゼル機関車です。運転整備重量は150t、最高速度120km/hで主要幹線の貨物列車で使用されています。現在も通遼機関区で使用されています。
韶山1 SS1 0001A 0665 交流電気動力車

ソ連からの技術導入で1958年から製造されたSY1形を改良して、1968年から製造した中国最初の国産電気機関車です。827輌(6Y1形として製造された初期型7輌含む)が株洲電力機車工廠で製造されました。軸配置C-C、運転整備重量は138t、最高速度は90km/hです。
DJJ2 0001A 中華之星 China Star 交流電気動力車

2002年中国南車集団株洲電力機車廠製造で、軸配置B-Bの交流動力車です。TGVの様なこの車輌を列車の前後に連結して客車11輌を運用するというものです。設計最高速度は270km/hとされ、試験走行では321.5km/hを記録したとされます。そして2005年から営業運転に入り、山海関~瀋陽間の準高速列車を牽引しましたが、信号システムとの連繋の問題や電気系統、ブレーキ系統のトラブルが頻発し、実際の運転速度は160km/hに留まりました。高速鉄道列車としての試作的が強く、2006年に運行を停止し、開発は中止されました。
GW997319公務車

1935年南満洲鉄道の工場で製造されました。釜山と北京を結ぶ特急「大陸」の展望車として使用されました。戦前の1等車に相当しますが、戦後は1等車が廃止、2等車が1等車に、3等車に2等車に2クラス制になり、通常の列車に連結して運転されることはなくなりました。そこで幹部の視察の際などに使用する公務車となりました。
E98000形維修車

1933年の南満洲鉄道の工場で製造されました。鋼製車体はリベット接続されています。乗車定員は9名、1991年に廃車となりました。外にも客車が展示されていますが、この2輌だけの紹介といたします。
S5 011 車掌車

1930年代の日本で製造された二軸貨車です。リベット構造の全鋼製車体ですが、車内は木製で、中央には石炭ストーブがあり、屋根から煙突が突き出ています。台車部分は4枚のプレートを溶接して構成され、軸箱がプレートに固定されています。
スコ101 タンク車

1900年に帝政ロシアで製造され、1935年に日本統治下の南満洲鉄道大連工場で改造された2軸鋼製タンク車です。GK型制動装置、上作用連結器を備え、15トン積載の液体輸送に用いられ、1961年に廃車となりました。満鉄でもタンク車の形式は「タ」であったため、スコの意味は不明ですが、ロシア語のцистерна вагонに由来する可能性があります。
C1 349185 無蓋車

日本の製造の無蓋貨車で、製造年代は不明ですが、車輪の一部に1911年と1912年の刻印があり、製造もそのころか、後に車輪を流用して製造した推定されます。Cは中国語の無蓋車をあらわす敞車の発音ローマ字Changcheの頭文字Cをとったもので、1は製造順に指定した形式で、無蓋貨車の一番目の形式と考えられます。
Z151形15t蒸気クレーン車

1983年チチハル車輌工廠の製造で、蒸気で稼働する1.5㎥のバスケットを持ったクレーン車です。おもに機関区において蒸気機関車への給炭作業に使用され、2002年に廃車となりました。
閉鎖区域の展示

E、F、G区画は閉鎖され遠くから見るだけですが、高速鉄道のCH3や電気関係、保線関係の展示があります。具体的にはレールカー、分岐器、信号機、転轍機、連動操作盤などです。119号レールカーは大型で興味を引きましたが近寄ることが出来ず残念です。