D52335の解体
D52形は国鉄形の中で最も強力な貨物用蒸気機関車です。車体が大きく重いため、使用可能な路線は限られていました。 D52335号は昭和19年(1944年)11月に汽車製造で製造され、米原機関区に配置され東海道本線で活躍しました。最晩年は国府津機関区で御殿場線の電化まで使用され、昭和43年(1968年)8月に廃車。国鉄大宮工場に長く留置されたのち、昭和46年(1971年)3月に解体されました。
解体前の全景

以前大宮工場の中は高崎線、東北線の線路をはさんで見ることが出来ました。蒸気機関車だけではなく、電気機関車、貨車、客車なども入っては消えていきました.解体待ちの姿とは言えD52形の様な大形機関車は堂々とした貫禄がありました。
解体中 左前方から

バーナーで適当な大きさに焼き切って、クレーンではずしていきます。周囲にははずされた空気タンク、煙突、煙室扉が乱雑に放置されています。
解体中 煙室胴・シリンダー

焼き切る作業はどんどん進んでいくので、あっという間にバラバラになってしまう様な気がしました。はずされた部品は、もう一度組み立てる訳ではないので、何がなんだかもうわからなくなってしまいます。
解体中 右前方から

まだ丸いボイラーのシルエットが残っていますが、だんだんもとの形だわからなくなるほど解体が進んでいきます。解体中の部分はボイラー本体ではないので、比較的鉄の厚さも薄く、難なく焼き切れてしまいます。
解体中 運転台

当時から部品の盗難は問題になっていました。最も価値のあるプレート類は保管の段階ではずされています。解体のはじめに価値のあるや汽笛、安全弁、煙室扉ハンドルなどは丁寧にはずされ保管されます。その次に運転台の様に取り外す事が出来るようになっている部分が取り外されます.後ろには砂箱と蒸気溜のカバーが見えます。
解体中 煙室胴上部

先ほどまでつながっていた、正面上部は切り離され、鉄くずと化してしまいました。煙突の穴と給水暖め器が乗っていたくぼみ、前照灯でもとも部分がわかります。
解体中 右横

機関車らしい外見はすでにほとんどありません。ボイラーには大きな圧力がかかるので、火室の上のほうにはたくさんの「控」(支柱)とよばれるボルトで強度を支えていることがわかります。
解体中 炭水車(テンダー)

蒸気機関車は石炭などを燃料としてお湯を沸かして走るものですから、燃料と水のタンク(炭水車、テンダー)を持っています。D52形の炭水車は水を25立法メートル、石炭を12トン積むことが出来る大形のものでした。
解体中 コンプレッサー

蒸気機関車の部品には、取り付けや交換の際に便利なように吊り金具が取り付けてあります。はずされたのは蒸気の力で圧搾空気を作るコンプレッサーで、クレーンで吊り上げられてはずした大形部品の集積場所に運ばれます。
解体中 火室部分

一部分がすでに切り取られているので普段見ることのできないボイラーの内側が露出しています。この火室部分は高温、高圧に耐えるために特に頑丈に作られています。右側が運転台があったところですがパイプ類はすでに撤去されています。
解体前のED17形

隣で解体を待っている電気機関車ED17形です。大正9年(1920年)~13年(1924年)にイギリスのノースブリティシュ社とパケット・アンド・サンズ社アトラス工場(Packett & Sons, Atlas Works)で車体を、電装品をイングリッシュ・エレクトリック社で製造しました。ED17形はイギリス製の同系の何種類かを統合した形式で、よく見ると違いがあります。この機関車は前にデッキがあるタイプでした。最後は身延線、飯田線で使用され昭和47年(1972年)までに全機廃車になりました。
解体前のED17形

こちら側のED17形はデッキのないタイプでした。手前には蒸気機関車のパイプ類で山になっていました。ED171がこの場所に建てられた大宮鉄道博物館で保存されています。