
韓国鉄道庁のミカサ形蒸気機関車
釜山~慶州間にミカサ形機関車による観光列車が運転されているということで、1982年4月撮影に行きました。この列車は1981年秋から1983年まで運行されたそうです。ミカサ形は朝鮮鉄道局の貨物用の機関車で、大正15年(1925年)に朝鮮鉄道局車両係長福見貞治の指導のもと西山重道が主要寸法を定め、汽車会社の加藤剛介がそのあとを引受け設計しました。現地の鉄道情況にあわせた設計で、運用を開始すると非常に好成績であったため、朝鮮鉄道標準機関車として採用され、汽車会社のほか日本車輌、川崎車輌、日立および朝鮮総督府鉄道京城工場で300輌あまりが1944年まで製造されました。また、ミカサ形は総督府鉄道だけでなく中国の華中鉄道や朝鮮北西部の西鮮中央鉄道(現在は北朝鮮)などでも使用されており、その優れた汎用性と実績が広く認められていたことがうかがえます。
釜山機関区のミカサ161号




観光列車の始発駅釜山では機関区でミカサ161号が出発準備をしていました。車体はよく整備されていました。ロッドや輪心に化粧がほどこされていましたが、ロッドや輪心に白を入れるというのは見たことがありませんでした。
釜山機関区での廃車体とミカサ177号


ミカサ177号は予備機となっていました。こちらはロッドや輪心、ランボードなどには化粧が施されいません。遠くには数輌の廃車が留置されているのが見えましたが、見学することは出来ず、形式もよく分かりませんでした。
釜山~慶州間(往路)






釜山を発車した列車は、やがて市街地を抜け、鉄橋を渡って、田園風景の中へと進んでいきました。4月とはいえ空気は冷たく、春の気配はまったく感じられませんでした。釜山と慶州の間はおよそ280キロあり、列車は比較的ゆっくりと走っていました。そのため、マイクロバスで先回りをすれば、何度も列車を撮影することができました。終点の慶州は、新羅千年の都として知られる古都です。釜山との標高差はそれほど大きくなく、機関車が丘陵を登る場面もありましたが、全体としては緩やかな勾配が続いていました。
慶州機関区転車台


慶州機関区の人力の転車台で方向転換します。ミカサ形は運転整備重量が150t近くありますが、2人で転換しました。扇形車庫には機関車は1輌もなく使われていない様でした。
慶州~釜山(復路)




復路は速度がはやく、途中の撮影は2回ほどしかできませんでした。同行したS氏は列車に乗車しましたが、車内はけっこう混雑していたそうです。
韓国鉄道博物館で展示中のミカサ161号

わずか3年ほどで終了した、ミカサによる観光列車ですが、この機関車は現在ソウル南方の京畿道義王市にある韓国鉄道博物館に保存されています。韓国では、この後中国から1994年に製造された上游形機関車を購入して観光列車を運行しましたが、これらも2012年に運行終了しています。