
大都会上海で使用された蒸気機関車
急速な経済発展を続ける中国。その中でも上海は、都市景観や交通インフラが年々目まぐるしく変化している都市です。2025年現在、市内中心部には高層ビルが林立し、地下鉄網はさらに拡充されています。外環状線やそのさらに外側まで高速道路が延伸され、郊外部でも大規模な再開発が進行中です。 しかし、わずか数十年前までは、まったく異なる光景が広がっていました。1980年代には、前進形蒸気機関車が市内を行き交い、南翔操車場ではKD6形が入換作業に従事していました。上海近郊の本線蒸気機関車はすでに早い時期に姿を消していましたが、市内の「上海焦化工廠(当時、現上海焦化有限公司)」で生産する工場はコークスやガスなどの貨物輸送を行う専用線がありました。 ただし、これらの工場内部への立ち入りは非常に困難で、特別なコネがなければ不可能でした。しかし、工場外で鉄道本線と接続する専用線部分については、道路からの撮影が可能であり、許可は不要でした。ここでは、1999年に唯一撮影することができた、上海焦化工廠で稼働していたJS建設型蒸気機関車の様子をご紹介します。ただし、2007年に再訪した際には、すでに東風4形ディーゼル機関車に置き換えられており、蒸気機関車の姿は見られなくなっていました。 2025年の上海では、こうした工場の専用線自体が次々と廃止され、市内で貨車の入換風景を見ることはほとんどなくなりました。
1999年上海焦化工廠 建設形










上海焦化工廠で使用されていた建設型蒸気機関車JS8341号は、1988年に大同機関車工場で製造されたものです。車体には国鉄(中国鉄路)のマークが付けられていましたが、おそらく国鉄から払い下げられたものと考えられます。この機関車は、工場内と貨物駅の間を往復して入換作業に従事していました。運用していない時間帯には、道路脇に設置された給水設備の付近に留置されていました。(1999年10月撮影)
2007年上海焦化工廠 東風4形








2007年には、蒸気機関車の姿はすでになく、代わって東風4形0495号ディーゼル機関車が使用されていました。この機関車は1980年に大連機車車輌工廠で製造されたもので、皮肉にも蒸気時代に活躍していた建設型よりも古い製造でした。運用形態は蒸気機関車時代と変わらず、工場内と貨物駅の間を何度も往復していました。踏切設備については、以前の簡単な遮断竿から、より厳重なフェンス付きの遮断機に更新されていました。しかし、安全対策が強化されたにもかかわらず、蒸気機関車時代と同様に、無理に踏切を横断しようとする歩行者や自転車の姿は変わらず見受けられました。(2007年6月撮影)