
凸形の鉄道車輌
なぜそうなのかわかりませんが、凸形の車輌が好きです。しかし、それを特別に撮影しに行ったというものでもありません。それは私にとって何となく気になる存在だったということでしょうか。あるいは?、何を言っても、それらは後で理由を付けて考えたことにすぎません。まあ、こんな機関車があったんだということで、気楽にお楽しみください。
越後交通ED26形

元は大正13年(1924年)に開業した富岩鉄道(富山~岩瀬浜9.7km)のロコ2です。詳細は不明ですが、1924年にアメリカのボールドウイン・ウエスティングハウスで製造、昭和15年(1940年)日本鉄道自動車改造となっています。その後昭和18年(1943年)に富山地方鉄道が成立しましたが、同線は国鉄買収により富山港線になったため国鉄に編入し、昭和27年(1952年)にED261となりました。昭和35年(1960年)に廃車されたのち、越後交通に移り昭和55年(1980年)まで使用されました。(昭和54年(1979年)5月 加茂)
越後交通ED31形

昭和30年(1955年)西武鉄道所沢車両工場で東芝製40t機関車をもとに製造したものです。西武鉄道E32からE31を経て、昭和39年(1964年)越後交通ED31となり、平成7年(1995年)の越後交通廃止まで使用されました.台車を見ると普通の旧型電車と変わらない機関車です。現在は長岡技術科学大学に保存されています。(昭和54年(1979年)5月 加茂)
北恵那鉄道デキ251形

昭和27年(1952年)日立で製造された31トンの機関車で、当初は名古屋鉄道のデキ251として使用されました。昭和43年(1968年)に北恵那鉄道に移り、同社線の廃止まで使用されました。残念ながらこの機関車が移籍した頃はすでに、北恵那鉄道における貨物扱いは減少しており、構内における入換程度しか使用する場所なく、活躍することが出来ませんでした。(昭和53年(1978年) 北恵那鉄道)
上信電鉄デキ3形

上信電鉄では大正14年(1924年)独シーメンス製の凸形電機が3両在籍しました。そのうちのデキ2は1995年に廃車されましたが、デキ1と3は現役でイベント等で稼働しています。その他左側の機関車ED316も元は凸形で、箱形に改造された時期は不明ですが、元伊那電気鉄道(現在の飯田線)のデキ6として大正15年(1924年)に石川島造船所で製造されました。同線は昭和18年(1943年)に国有化されたため、この機関車も国鉄に編入され、昭和27年(1952年)にED316に改番、昭和32年(1957年)に廃車され上信電鉄に来ました。当時は現在と異なるブリルMCBの台車を履いました。(昭和45年(1970年) 高崎)
南海電鉄5152形

天王寺駅でのED5152とED5151の重連です。どちらも東芝の製造ですが、前のED5152は昭和22年(1947年)、後のED5151は昭和18年(1943年)の製造です。ED5151はもと阪和電鉄ロコ1151ですが、昭和53年(1978年)に廃車されました。南海のきれいな緑色の機関車でした。その後南海天王寺支線は国鉄との貨物の受け渡しも無くなり、また地下鉄開通などにより、平成5年(1993年)に廃線となりました。(昭和51年(1976年) 天王寺)
銚子電鉄デキ3形

銚子電鉄のデキ3は、大正12年(1923年)ドイツのAGE(アルゲマイネ)製造です。当初は宇部の沖の山鉱業所で使用されたのち、昭和16年(1941年)に銚子電鉄に来ました。1067mm軌間用の機関車としては、とても小さくて自重は10トン、集電はビューゲルです。昭和59年(1984年)に貨物が廃止されたのちは本線は走行できませんが仲ノ町車庫内で動態保存されています。(昭和51年(1976年) 仲ノ町)
伊豆急行ED25形

伊豆急行のED25は、元々は豊川鉄道が発注したデキ54で昭和19年(1944年)日本車輌・東洋電機の製造です。完成したときは、豊川鉄道は国鉄に編入され、飯田線になりました。国鉄ED301からED2511と改番された後、昭和38年(1963年)に伊豆急行に来ました。平成6年(1994年)に廃車されました。廃車後は東急長津田工場の入換用として無車籍で使用されましたが、老朽化のため平成21年(2009年)に解体されました。(昭和52年(1977年) )
秩父鉄道デキ3形

秩父鉄道のデキ3は大正10年(1921年)のアメリカのボールドウイン・ウエスティングハウスの製造です。同型はデキ1~5の5両在籍しましたが、このデキ3は昭和59年(1984年)に廃車になりました。現在熊谷市内の運送会社に保存されていますが、立入禁止で外の道路からのみ見ることができます。
明治鉱業平山鉱業所

明治鉱業平山鉱業所は北九州にあった上山田線(昭和63年(1988年)廃線)の臼井駅から伸びていた専用線で、入換用の蒸気機関車と出炭用の電気機関車が使用されていました。この6トンの602号は601号とともに三菱電機で昭和24年(1947年)に製造されました。当時はここを訪れた目的は蒸機だったため、この機関車や線路についてよく調べませんでした.
西武鉄道山口線おとぎ電車

西武鉄道山口線は762mmの軽便鉄道でおとぎ電車と呼ばれ、西武園遊園地・ユネスコ村の遊技物の一つの様に思われていましたが、れっきとした西武鉄道の一路線の地方鉄道でした。バッテリーカーで運行されていましたが、蒸気機関車を復活させ、東京近郊で軽便蒸機が見られる名所でした。この凸形蓄電池機関車B12~B15は1952年~1960年の間に所沢車両工場で製造されました。その後、昭和59年(1984年)山口線は新交通システムに生まれ変わり、東京近郊最後の軽便鉄道は廃止されました。(昭和52年(1977年) 西武鉄道山口線)
小田急ED1012形

運転台部分が大きいので凸形と言うのは微妙ですが、小田急のデキ1010形のED1020です。1927年(昭和2年)の川崎造船の製造です。撮影した日付けを失念しましたが、1984年(昭和59年)まで使用されました。(昭和50年代 相武台前)
遠州鉄道ED282形

遠州鉄道のED282は、もともと豊川鉄道のデキ51で、大正15年(1925年)イギリスのノースブリティッシュ・イングリッシュエレクトリック社製造です。豊川鉄道は国鉄に買収され飯田線の一部となり、同時にデキ51も国鉄の形式の機関車となりED28となりました。昭和34年(1959年)に国鉄で廃車になり、遠州鉄道に来て、今でも工事用として使用されています。(平成13年(2001年) 撮影:武谷修氏(禁転載) )
上田丸子電鉄ED251形

昭和12(1937年)に日本鉄道自動車工業において宇部電気鉄道のデキ11と製造されました。宇部電気鉄道は宇部鉄道と合併ののち国有化され、その後国鉄形式ED251となりました。昭和43年(1969年)に上田丸子電鉄丸子線に移り、同線の廃線後は別所線で昭和61年(1986年)まで使用されました。現在は上田市の工業百年公園に保存されています。(平成17年4月(2005年))
国鉄DE11形

突然ディーゼル機関車が登場し微妙ですが、セミセンターキャブの車体はやはり凸形と言えると思います。このDE1157は昭和45年(1970年)3月の日本車輌で製造、高崎第一機関区に配属されました。当時最新鋭のピカピカの機関車で、入換用のC11形や9600形を廃車にしました。しかし16年後の昭和61年(1986年)には九州の香椎で廃車になり、車歴16年は昭和45年当時の高崎にあったどの蒸機よりも短い生涯でした。(昭和45年(1970年) 高崎第一機関区)
国鉄EB10形

尾久や田端界隈には田端機関区所属の凸形電機EB10があり、王子からの専用線(須賀線)の貨物を担当していました。EB10は他の私鉄買収凸形電気機関車と異なり、国鉄の蓄電池機関車AB10として昭和2年(1927年)に汽車会社・東芝で製造されました。後に電気機関車EB10に改造され、昭和47年(1972年)まで使用されました。当時は見慣れた風景でしたが、ここに写っているDD13、EF58、EF80はすでにJRには在籍していません。(昭和45年(1970年) 尾久 )
東武ED4020形

ED4020形は昭和22年(1947年)に東芝で製造した45tの機関車で、当初はED45形と呼ばれ、昭和30年(1955年)にED4020形に改番されました。東武本線でおもに入換用として使用され、昭和59年(1984年)に廃車になりました。(撮影日不詳、北千住)