
蒸気機関車時代の二水機関区
1976年と1977年に訪問しました。独立した機関区ではなく、嘉義機関区の分駐所という位置付けで集集線用のC12が配備されていました。縱貫線用のCT150(8620形)とDT580(9600形)もいました。こちらは入換や貨物列車用でたまたま停まっていたものと思われます。
分駐所看板とCK124

当時の二水機関区は嘉義機関区の機務分駐所でした。日本で言うところの支区です。現在は再編成されて彰化機関区の機務分駐所になっています。
車庫のCK122とCK125

車庫は2線のみで転車台はありませんでした。台湾には1934年から1942年に日本車輌で製造した台湾総督府交通局の形式C12形が7輌在籍しました。これらは戦後CK12形に改称され、全機二水に在籍していました。CK122とCK125が庫内にいました。
車庫のCK124

日本のC12形と異なり、全機デフレクターを装備していました。こちらの機関区でも線路脇に高く石炭を台形に積んでありました。
車庫のCK127

もうひとつC12と異なる点は、ナンバープレートが運転台の位置にあることです。しかしこのCK127だけは、日本と同じサイドタンクに位置していました。さらに煙突に継ぎ足した跡があり、まっすぐなパイプになっていました。
給水塔

給水塔は大型で円筒形のものでした。蒸気機関車時代には主要駅のホームにも給水塔がありましたが、機関区のものは更に大きな物でした。この給水塔は2024年現在もそのまま残っています。
給炭台とCK124(1)

ここの石炭置場も玉石を埋め込んだコンクリート製の頑丈な構造でした。機関車に石炭を載せるのは、渡り板を登ったところに一時的に置き、スコップで積むという方法でした。
給炭台とCK124(2)

このアングルからは、車庫・給水塔・給炭台の位置関係が一目でわかります。右に遠く見えるのは公共墓地にある塔で1975年にできたばかりで目立っていました。
給炭台とCK124(3)

給炭台の上に石炭を運ぶのは人力で、天秤棒の両端にカゴという昔ながらの方法でした。現在では機械化されて、ほとんど見かけることがありません。
DT586(DT580形)

CK120だけでなく、貨物用のDT586も見かけました。DT586は1925年に川崎車輌で製造した国鉄9600形と同型の機関車です。戦後DT580形と改称されました。1925年は国鉄向け9600形の最終製造年ですが、台湾では使い勝手がよく、その後も製造され、最後の納入は1939年でした。
CT189(CT150形)と架線柱

CT189は日本の8620形と同型で、1927年の日本車輌製です。台湾の機関車には日本と異なり区名札(所属機関区を示す名札)がありませんので、二水所属かどうかは分かりませんが、CK120以外の機関車も見かけました。1977年には前年訪問したときには無かったコンクリート製の架線柱が建ち始めていました。この後急ピッチで工事が進み、彰化~嘉義間は1978年12月に電化完成しました。
投炭練習台

蒸気機関車の機関助士が、石炭を効率よく投炭する技術を身につけるために用いられた模擬設備です。CK120形の火格子面積は1.3㎡で、住宅のドア1枚分くらいです。ここに石炭を同じ厚さになるように平均して投入する必要があるため、つねに技術向上の訓練を行えるように設置されていました。
CK125の貨物列車

集集線の貨物列車が到着しました。すでに旅客はすべて気動車になっていましたが、貨物列車はCK120形が担当していました。
水運車

水を運ぶ貨車「水運車」が停まっていました。日本での貨車記号は「ミ」です。機関区に配属され、蒸気機関車に給水するために使用されました。この貨車はリベットで接合され、台車もシュー式なので古いものだと考えられますが、詳細は不明です。
CK124横

二水機関区を訪問したのは午後の時間帯で光線が下廻りまでとどき、はっきりした写真が撮れました。台湾のCK120形とC12形の違いは、ATSが無いため発電機が追加されていない、カウキャッチャーの様な排障器が装備されているなどがありますが、本来の美しい姿は同じです。このCK124は2001年に動態に復元され、彰化機関区を基地としてイベント列車で使用されています。